1. 本稿は, 現代の混迷を打開して進みうる人間の理想像を探るとともに, 体育は, それにどのような価値と意味を与えうるのかを究明しようとするものである. 2. それには今後, 体育は, 従来の人間を対象とした個別科学の枠内にのみとどまる弊を改め, たえずその本質を問いつづけることによって, 体育独自の存在領域を確立しなければならない. それは, 体育が「学」や「教育」を契機としつつ, なお, これを全体として越えなければならない範疇のものであることをも意味する立場にほかならない. かくしてはじめて体育は, 人間理性の「実践原理」を体得した行動的人間の育成を可能ならしめるものとして, 光彩を放ちうるものと主張する.