間歇型一酸化炭素(carbon monoxide: CO)中毒は遅発性脳症(delayed encephalopathy: DE)とも呼ばれ,治療法は確立されておらず,重度の後遺症を残す症例も多い。DEに対し,長期的な高圧酸素療法(hyperbaric oxygen therapy: HBOT)を施行し,社会復帰を得た症例を経験したので報告する。症例は30歳の女性。家族が自宅ガレージに駐車後エンジンを停止するのを忘れており,翌日上階室内で意識消失しているところを発見された。来院時,GCS 8の意識障害を認め,CO–Hb 32%で急性CO中毒と診断した。気管挿管を実施し,100%平圧酸素投与と48時間の脳低温療法を施行した。CTで淡蒼球の低吸収化,MRIで前頭葉大脳白質に高信号を認めた。その後第19病日までに意識は元の状態まで回復したが,第32病日に突然,無表情となり不隠行動と失禁がみられ,第35病日に立位や嚥下が困難となり,意思疎通も不能となった。DEを発症したと考え,2.0気圧,60分間でHBOTを開始した。3か月間で計60回行ったところ,徐々に神経所見が改善し,大きな後遺症を残すことなく退院となり社会復帰した。DEに対するHBOTの有効性を示す大規模研究はないが,本症例では長期的なHBOTが著効した印象が強く,重度のDEにおいて症状が進行しても長期治療すべき症例があると考えられた。 Delayed encephalopathy (DE) after acute carbon monoxide (CO) poisoning is a disease with a poor prognosis. There is no established treatment for DE, and no evidence that hyperbaric oxygen therapy (HBOT) is beneficial in DE. A 30–year–old female presented with severe CO poisoning. She was found unconscious and her carboxyhemoglobin level on admission was 32%. She was admitted to the intensive care unit, and immediately treated with mechanical ventilation with normobaric oxygen and brain hypothermia therapy. She regained consciousness 19 days later, and returned to her normal activities. However, 13 days later she became restless and developed incontinence. Her neurologic state began to deteriorate rapidly, progressing to akinetic mutism over the next week and finally she became less communicative. She was diagnosed with DE after CO intoxication. HBOT was conducted every day at 2.0 absolute atmosphere (ATA), each session lasting 60min, and gradual and progressive clinical improvement was observed. Her condition gradually improved over the next three months and she regained independence in her activities of daily living. She also showed significant improvement in neurocognitive function. HBOT appears useful in treating DE patients. 倫理規定に関する事項は次の通りである。 ①倫理委員会が審査・承認すべき事項には該当しない。 ②個人情報保護に基づき,匿名化している。 ③患者および家族より論文の掲載に関して同意を得ている。 急性一酸化炭素(carbon monoxide: CO)中毒の経過において,数日から数週間後に見当識障害,認知機能障害,運動失調,無言無動などの特徴的な神経症状が出現する症例があり,間歇型CO中毒,あるいは遅発性脳症(delayed encephalopathy: DE)と呼ばれる。急性CO中毒の10~30%に発症すると報告 1されているが,明確な治療方法は確立されておらず,重度の後遺症を残す症例も多い。また,DEの発生は遅発性のため,急性期施設である救命救急センターにおいて救急医が経験する機会は少ない。 今回,救命救急センター入院中にDEを発症し,長期的な高圧酸素療法(hyperbaric oxygen therapy: HBOT)を施行し,完全に社会復帰した症例を経験したので報告する。 患 者:30歳の女性。対人恐怖症があり,自宅2階で十数年間ひきこもり生活をしていた。その他既往歴なし。7月某日,自室の直下にある1階ガレージでシャッターを閉めたまま家族が車のエンジンを停止し忘れた。24時間後に自室のソファ上で意識がない状態で発見されて救急搬送となった。 来院時現症:意識レベルJCS II–30,GCS 8(E2V2M4),心拍数138/分,血圧133/90mmHg,呼吸数22/分,SpO2 97%(リザーバーマスク酸素10L/min投与下)。嘔吐痕と失禁を認めた。搬入時の動脈血ガス分析はCO–Hb 32%であり急性CO中毒と診断した。高乳酸血症(乳酸値10.3mmol/L)を伴う代謝性アシドーシスを合併していた。血液検査所見は白血球数高値のほか,高アミラーゼ血症,高CPK血症を認めた(Table 1)。 来院後経過(Fig. 1):意識障害と誤嚥による呼吸不全のため気管挿管を実施し,頭部CT検査を行ったところ脳腫脹を認めたため,ICU入室後に48時間の脳低温療法(35℃)を施行した。急性期CO中毒に対して,乳酸値が正常化するまで,100%酸素を約40時間投与した。誤嚥性肺炎は抗菌薬投与と人工呼吸管理で改善した。従命反応可能なレベル(GCS:E4VtM6)まで意識が改善したため,第12病日に気管チューブを抜去したが仮性球麻痺を認め,第13病日に誤嚥防止のため気管切開術を施行した。第19病日に意識清明となり,第30病日には仮性球麻痺も改善し,気管切開チューブを抜去した。その後リハビリテーションを継続していたが,第32病日に突然,失禁,無表情,不隠行動,不随意運動が出現した。その後症状は悪化し,立位困難,嚥下障害,無言無動を呈し,意思疎通ができなくなった。症状からDEを発症したと考え,第35病日よりHBOTとステロイドパルス療法を開始した。HBOTは2気圧(ATA)60分間を1日1回平日に施行した。ステロイドパルス療法はmethylprednisolone 1gを3日間投与した。嚥下障害に対して胃瘻造設を施行し経腸栄養を行った。その後HBOT施行20回目に従命反応が出現し,22回目には発語を認めた。27回目で意識清明となり,経口摂取が可能となった。29回目で排尿が自立し,43回目で歩行が可能となった。症状の改善効果が固定したと判断するまで,HBOTは合計60回,3か月間実施した。退院前の高次脳機能検査ではmini–mental status examination(MMSE)=25,Wechsler adult intelligence scale(WAIS)–III=(全検査IQ69,言語性IQ85,動作性IQ59)と若干の低下は認めたが,入院から4か月後に独歩退院となった。 Clinical course from admission to discharge. <経過中の検査所見> 頭部CT:第4病日に来院時にはなかった両側淡蒼球の濃度低下が出現し,その所見は退院まで変化が認められなかった(Fig. 2)。 Brain CT series, brain MRI series and brain SPECT series. 頭部MRI(FLAIR,DWI):第7病日に撮像された頭部MRIでは両側の淡蒼球と前頭葉の深部白質に高信号を呈した。DE発症直前の第29病日ではさらに白質病変が拡大したが,第92病日のMR–FLAIR画像では前頭葉の軽度萎縮を認める一方,深部白質の高信号病変は縮小した(Fig. 2)。 SPECT(123I–IMP脳血流シンチグラム):初回(第36病日)のSPECTでは全般的な脳血流低下を認めたが,第62病日の両前頭葉の局在的な血流低下を経て,第92病日には左前頭葉と左側頭葉内側領域に明らかな血流改善を認めた(Fig. 2)。 脳波検査:第62病日の脳波では全般性の持続性低振幅徐波が認められ,重度のびまん性脳症を示唆した。第92病日の脳波における前頭部の律動性δ波と第121病日の脳波における持続性不規則徐波は前頭葉の脳機能低下を示唆したが,同時にα帯域の後頭部優位律動が徐々に回復しており,SPECTの変化にも一致した(Fig. 3)。 Electroencephalogram series. DEはCO暴露数日から数週間の意識清明期(lucid interval)後に,異常行動,人格変化,高次脳機能障害などの精神神経症状や歩行障害,パーキンソニズムなどの運動機能障害を来すことにより診断される。病理学的には大脳白質のミエリンやオリゴデンドログリアの損傷による脱髄性白質脳症といわれており 2,機序は酸素欠乏後の酸素再供給に伴う活性酸素発生や免疫系の関与を指摘されている 3。 DEは急性CO中毒の10~30%に発症するとされており,発症予測因子の研究では,Pepeら 4は初期の意識レベルGCS 8以下(オッズ比7.15)と搬入時白血球数10,000/µL以上(オッズ比3.31)の症例で有意に発症率が増加していたと報告しており,Parkinsonら 5のMRIを使用した研究においては,DE発症には大脳白質病変が必発であると報告している。一方で淡蒼球病変の有無はDE発症に関与しないとされている。本症例では初期の意識レベルGCS 8以下,搬入時白血球数10,000/µL以上,MRIの大脳白質病変すべての発症予測因子を満たしていた。本症例でDE発症の可能性が高かったことを考えると,発症を念頭に置いた経過観察が必要であったが,一方で発症時期については数日から数週間と幅があり,どの程度の経過観察期間が必要かに関して明確な基準はない。近年のDEに対してHBOTを施行した症例の検討で,予後良好群は,若年,意識清明期が長い,肺炎の合併がない,最も状態が悪化したときのADLが悪くないことを報告しているが,予後良好群の平均間歇期間は25.9±6.5日であった 6。いつまで急性期病院で経過観察すべきかの議論は別として,発症予測因子がある場合には1か月程度はDEを発症する可能性を考えた経過観察が必要であろう。 DE発症予防に対する急性期治療の効果についても明確ではない。CO中毒に対する急性期のHBOTは,DEを予防するという報告 7がある一方,平圧療法と比較して1か月後の社会復帰率やDEの予防効果に差はないとする報告 8もあり,議論の分かれるところである。当施設では人工呼吸管理中の患者は安全を考慮して急性期のHBOTは施行せず,平圧高濃度酸素療法を行っている。また,Kamijoら 9は急性CO中毒に脳低温療法を施行した症例報告により脳低温療法はDEを予防する可能性があることを示唆しているが,本症例では脳低温療法を施行したものの,DEを発症した。DE予防のための急性期脳低温療法に関しては今後の検討が必要と考えられる。 DE発症後のHBOTの有効性に関しては,RCTを含めた大規模研究は施行されておらず,未だ定説は得られていないが,長期間施行することで有効とする報告 10もある。DE自体は自然回復するのか不明であるが,我々の経験した症例ではHBOT 20回目から神経学的な回復がみられ,画像所見も改善を認めたため,HBOTが非常に効果的であった印象がある。本症例のようにADLや認知機能が著しく低下しても,諦めずに長期間のHBOTを試みる価値があると考えられる。HBOTの実施期間に関しては明確な基準はないが,本症例を経験して,土居らの報告 11のように症状が固定したと判断するまで長期的に続けるべきという意見に賛同する。HBOTのDEに対する機序は,大脳灰白質にある神経細胞が残存しているうちに,白質にある髄鞘の再生を促進するとともに,神経細胞自体に保護的作用を発揮すると推測される。本症例では20回ごとに治療効果判定と継続判断を行った。ステロイドパルス療法もDEの改善に効果的な可能性が示唆されており 12,oligodendrocyteの保護あるいは分化を促進することで髄鞘の再生を促す機序,あるいはステロイドの各種抗炎症作用によるといわれているが,本症例での有効性については不明であった。また早期のリハビリテーションも重要である。 本症例では経時的に画像検査を施行することができ,HBOTの治療効果を視覚的に確認し得た。CT所見はHBOT後の変化はみられなかったが,MRI所見は若干の改善傾向を認めた。SPECTでDE発症時に前頭葉の血流低下が認められることが報告 13されているが,本症例では頻回のHBOT後に著明な血流改善所見を認めた。SPECTでの脳血流の変化から脳細胞代謝や脳細胞機能低下は不可逆的ではなく,HBOTにより改善しうることが示唆された。本症例でHBOTによりMRI,SPECT,および脳波所見の改善を認めたため,HBOT継続判断には臨床症状にこれらの検査所見も加えて,検査所見の改善傾向を認めるうちは治療を継続すべきと考える。 重度のDEにおいても神経学的な回復を見込める症例も存在するため,複数回のHBOTの適応を積極的に検討すべきである。その適応や継続の判断には神経生理学的検査や脳画像診断は有用である。搬入時昏睡の重症例やDE発症リスクをもつ患者に対しては危険性を十分に説明し厳重な経過観察をすべきである。 本論文に関連して開示すべき利益相反はない。
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