Abstract

本稿は,「高度成長期」前半に栃木県2地区で展開した共同炊事を事例に,農村部の女性による家事の共同実践が彼女らの生活世界にとっていかなる意味をもったのかを検討する.当時の共同炊事は生活改善運動を背景に全国に波及したが,本稿は「改善」の主たる対象とされた農家女性自身が共同炊事に能動的に関与していく側面に着目する.氏家町では,大規模農家の女性たちが農繁期の炊事負担を減らすために行政に働きかけ,役場が有償で一括して炊事を請け負う形態の共同炊事が実施された.これは女性たちが炊事の共同的外部化を実現した先鋭的な試みだった.だが,その後の農業の機械化に伴って共同炊事が終息すると,労働量が軽減された氏家町の女性たちは各家庭の家事専従者(の近似的タイプ)へと帰着していった.零細農家が多い喜連川町における共同炊事は,農繁期の炊事負担の軽減・効率化といった動機に乏しく,むしろ女性らが農休日を活用して行う自律性の高い実践へと展開した.彼女らは家事労働の場を共有する中で,家父長制下での厳しい労働条件から一時的ではあれ離脱を果たしたり,イエの枠を越えて水平的につながったりしながら,共同化の契機を作り上げていった.結果として彼女らは,家庭ごとに分断された家事労働への専従に必ずしも帰着しない横断的な労働状況や社会関係を,地域社会に一定程度作り上げることに成功した.

Full Text
Published version (Free)

Talk to us

Join us for a 30 min session where you can share your feedback and ask us any queries you have

Schedule a call