Abstract
本稿の目的は福島県南相馬市原町区を事例に,なぜ原発事故後に人びとは避難先から避難元に通い,帰ってきたのか,またそれはいかなる意味をもつのかを検討することである.本稿では原発事故被災者の〈生活構造の経時的変化〉を分析の視点に据え,「通うこと」や「帰ること」が被害からの回復や新たな環境への適応をめざす〈復興プロセス〉へといかに結びついているのかを明らかにした.中でもこのプロセスは,①生活構造の地域的固有性や歴史的連続性にもとづいており,「通い」「帰る」中ではこれらを再構築することがめざされていたこと,②都市部の早期帰還者と農村部の長期避難者との間で被害回復や適応のあり方は異なっていたが,これらの相互関連性によって成り立っていたこと,③「早期帰還」政策としての復興政策がいわば同等のものとして扱ってきた,避難指示解除・帰還・生活再建・復興との間に存在する断絶を埋めようとする営みとして現れていたこと,の3 点に特徴づけられていた.原発事故後の復興政策は,十分な制度的保障や復旧を抜きにした避難指示解除によって早期帰還/移住の二者択一を迫り,自力再建を強制したことで,生活の時間的・空間的断絶や災害前後の不連続性を生じさせてきた.しかし人びとは「通うこと」や「帰ること」でこれらをもう一度つなぎ直し,政府が強行しようとする「復興」や社会解体に抗う,〈復興プロセス〉を形成してきたのである.
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