Abstract

姫路城は国宝の名城として知られているが、これまで城内の庭園の存在については不明であった。ところが平成9年(1997)に発見された「播州姫路城絵図」(大絵図)によって、藩主本多忠政(ただまさ)時代に造営された三の丸向(むこう)屋敷(やしき)に壮麗な庭園が存在していたことが明らかになった。さらに大絵図作成の約80年後に、藩主酒井忠以(ただざね)が『玄武日記』を残している。この日記の中に、池を舟で渡り、築山にある「御茶屋」へと向かい茶事を催した記事や、園内を回遊しながら観賞していく中で、庭園の構成要素が読み取れる興味深い記事が見える。姫路市では平成27年度より「世界文化遺産姫路城公式ガイドツール整備活用事業」の作成事業が進められている。その一端として、向屋敷庭園は現存しないが、残された資料や関連する事例を検討しながら、在りし日の三の丸向屋敷庭園の復元的考察を試みることになった。この調査研究を契機として、さらに文献資料の検討や庭園構成など様々な方面からの調査や研究、そして可能な限りの発掘調査等が望まれる。

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