Abstract

麻痺性貝中毒は,口唇・舌・顔面のしびれから始まり,次第に四肢の麻痺へ広がり,重症の場合は呼吸筋麻痺で死亡することもある。現在,わが国では行政によって貝毒の調査が行われ,貝類の毒性が規制値を超えた場合は出荷停止の措置が取られるため,貝類摂食による中毒症例は極めて少ない。今回我々は,牡蠣の摂食による片側性末梢性顔面神経麻痺を伴う麻痺性貝中毒の症例を経験した。患者は55歳,女性。車で旅行中,高速道路のサービスエリアで牡蠣鍋を食べた。牡蠣を食べたとたんに口唇にやけどをしたようなしびれを感じた。食後5分後に舌の感覚が鈍く感じられ,食後10分後に飲み物が口角からこぼれ,呂律が回らなくなった。食後3時間半後に当院を受診した。来院時,構音障害は改善しており,四肢麻痺はなく,呼吸・循環に異常はなかった。口唇・舌・顔面のしびれを訴え,右末梢性顔面神経麻痺を認めた。右耳介周囲の皮疹や疼痛などは認めず,頭部CT・MRI検査で異常を認めなかった。麻痺性貝中毒と診断され,入院したが,呼吸筋麻痺の出現は認めず,第3病日に退院し,近医へ通院となった。顔面神経麻痺は発症12日目に消失し,以後再発はない。これまでに片側性末梢性顔面神経麻痺を伴う麻痺性貝中毒の報告はなく,本症例は極めて稀と考えられた。同様な症例に遭遇した場合,ベル麻痺と速断せず,貝類摂食の有無を含めた詳細な病歴聴取と経過観察入院が必要である。 Paralytic shellfish poisoning (PSP) begins with tingling and numbness of the lips, tongue, and face, and could be lethal due to respiratory muscle paralysis. PSP is quite rare in Japan today because it has been effectively prevented by regular surveys of shellfish poison by the government. A 55–year–old woman visited a restaurant in a rest area on a highway and ate a dish of oysters and vegetables. As soon as she ate an oyster, she felt tingling in her lips. In 10 minutes after the meal, coffee spilt from her mouth on drinking and she had dysarthria. There were no abnormalities of her respiration or circulation and no limb paralysis. Brain CT and MRI also revealed no abnormalities. She was admitted to our hospital because PSP associated with right unilateral peripheral facial nerve palsy (UPFNP) was diagnosed. Respiratory muscle paralysis did not develop, and she was discharged on the third day. The facial palsy disappeared on the twelfth day. There has been no reported case of PSP associated with UPFNP. When encountering a similar case, detailed medical history–taking and follow–up hospitalization are necessary, avoiding a premature diagnosis of Bell's palsy. 麻痺性貝中毒(paralytic shellfish poisoning,以下PSP)とは,毒のある貝を食べて発症する中毒の一つで,その症状は口唇・舌・顔面のしびれから始まり,次第に四肢の麻痺へ広がり,重症の場合は呼吸筋麻痺を来して死亡する恐れがある 1, 2ため,適切な対応が必要である。現在,わが国では行政によって貝類の毒性調査が行われ,貝類の毒性が規制値を超えた場合は出荷停止の措置が取られる 2, 3ので,PSP症例は極めて少なく,本症に遭遇したことがない救急医は多いと考えられる。今回我々は,片側性末梢性顔面神経麻痺を伴うPSPという極めて稀な症例を経験したので報告する。 患 者:55歳,女性 既往歴:34歳時に耳硬化症に対して右あぶみ骨手術 アレルギー:なし 現病歴:車で旅行中,高速道路のサービスエリアで牡蠣鍋を食べた。同行者は牡蠣鍋を食べていない。5個の牡蠣のうち3個目を右側の前歯で噛んだとたんに右口唇,右頬粘膜,舌の右側に灼熱感やピリピリしたしびれを感じ,やけどをしたかと思ったという。その後,食事を終えてサービスエリアを出発した。食後5分後に口唇や右顔面の腫れと舌の感覚の鈍さを自覚し,さらに食後10分後に飲み物が右口角からこぼれ,呂律が回らなくなった。呂律障害は30分ほどで改善したが,食後2時間後に腹痛・嘔気が出現した。食後3時間半後に当院救急外来を受診した。 来院時身体所見:意識清明,歩行可能。血圧135/75mmHg,脈拍66/min,呼吸は平静で呼吸数18/min,SpO2:96%(room air),体温36.3°C。胸部:呼吸音異常なし,心雑音なし。腹部:腸雑音正常,心窩部に軽度圧痛あり。反跳痛なし,筋性防御なし。神経学的所見としては,瞳孔両側3.0mm,対光反射両側正常,眼球運動両側正常,眼振なし。耳鳴,難聴,めまい症状なし。顔面は右末梢性顔面神経麻痺を認めた(柳原法で4/40点)(Fig. 1)。右口唇から右頬粘膜,右下顎の歯槽および舌の右側にかけて知覚鈍麻を訴えた。構音障害はごく軽度認めた。舌偏位,四肢麻痺,四肢の知覚異常は認めなかった。他の局所所見としては,右耳介周辺や右外耳に発疹や水疱は認めず,鼓膜所見にも異常は認めなかった。口唇には軽度腫脹があったが,発赤や熱傷は認めなかった。口腔内は右頬粘膜に軽度腫脹があったが,熱傷,水疱,舌の腫脹は認めなかった。全身皮膚の発赤・潮紅,蕁麻疹や眼瞼浮腫は認めず,頸部のstridorは聴取されなかった。 Photographs show right unilateral peripheral facial palsy. a: When smiling, loss of the right nasolabial fold and deviation of the mouth angle to the left were shown on the second day. b: When looking upward, the wrinkle didn't appear on her right forehead on the third day. 入院時検査所見:採血では特に異常を認めなかった(Table 1)。心電図では右軸偏位を認めたが,不整脈やST変化,T波異常などは認めなかった。胸部X線検査,頭部CT検査で異常を認めなかった。以上の結果よりPSPと診断した。食後4時間経過しており,構音障害は改善していることから,胃洗浄や活性炭投与は行わなかった。しかし,これから呼吸筋麻痺が出現する恐れがあるため,末梢ラインを確保し,経過観察入院とした。 入院後経過:来院2時間後,書類記入時に複視を訴えたが,6時間後には消失していた。脳梗塞を疑って頭部MRI検査を行ったが,特に異常を認めなかった。当初上腹部に強い腹痛を認め,第2病日には下痢を伴ったが,その後症状は軽快した。第2病日から食事を開始したが,舌の右側の味覚異常を訴えた。また右眼の乾燥を訴えた。第3病日には口唇の腫脹は軽減した。顔面神経麻痺は他覚的には変化はないが,患者は少し麻痺の改善を自覚するとのことであった。牡蠣摂食後36時間後までに呼吸筋麻痺の出現はなく,近医耳鼻科受診を指示して自宅退院とした。 退院後経過:第4病日,自宅近くの耳鼻科を受診し,右顔面神経完全麻痺(柳原法6/40点)に対して,アデノシン三リン酸二ナトリウム,メコバラミンを処方された。第5病日頃,味覚異常や舌の鈍い感覚は消失した。第7病日に受診歴のある他の耳鼻科を受診したが,顔面神経麻痺は18/40点に改善していた。プレドニンを30mgから開始し,1週間かけて漸減するように処方された。第12病日に顔面神経麻痺は完全に消失したことを自覚し,第14病日に麻痺の消失(柳原法40/40点)が確認された。以後再発はない。 保健所への届出:PSPとして所轄保健所及び厚生労働省に連絡した。保健所からは,「被疑食材は冷凍加工国産牡蠣であったが,同一素材を調理した同じ料理を食べた1名と,他の料理を食べた13名に症状はなく,患者の残食および同じロット番号の商品に貝毒は認められなかったことから,麻痺性貝中毒と断定はできないと判断した」と後日連絡を受けた。 PSPは各種二枚貝(カキ,アサリ,ホタテガイ,ムラサキイガイなど)を摂食して発症する中毒で 2,原因毒としてはサキシトキシン,ネオサキシトキシン,ゴニオトキシ群など多数の同族体があり 2,総称して麻痺性貝毒と呼ぶ。これらの毒は有毒プランクトンである渦鞭毛藻によって産生され,有毒プランクトンを捕食する各種二枚貝の,主に中腸腺に蓄積される。麻痺性貝毒のヒトの致死量はサキシトキシン換算で1~2mgと推定され 2,毒力としてはテトロドトキシンに匹敵し,青酸ソーダの1,000倍に相当する猛毒である 4。作用機序はテトロドトキシンと同様で,骨格筋や神経の膜電位依存性ナトリウムイオンチャネルに結合し,チャネル内へのナトリウムイオンの流入を阻害して神経伝達を遮断する 2。麻痺性貝毒は,水溶性で,一般的な加熱調理では分解されない 2。 麻痺性貝毒は,経口摂取後,口腔や小腸の粘膜から速やかに吸収され 3,一般的には30分〜3時間で口唇・舌のぴりぴり感や知覚鈍麻が生じ,次第に顔面・頸部・四肢末端のしびれ感が生じる 5。その他に胃腸症状,頭痛,めまいが生じる 6。重症例では,その後嚥下障害,全身の異常感覚,運動失調,四肢の脱力を生じ,進行すると呼吸筋麻痺,呼吸停止が生じる 6。重症例ほど症状進行が速く,呼吸筋麻痺へ進行すれば12時間以内に死亡することがある 5。軽症〜中等症では2〜3日で症状は消失するが,重症例では1週間も持続することがある 5。治療は,貝類摂食後早期であれば胃洗浄,活性炭投与を行うが,その他は対症療法しかなく,呼吸筋麻痺に対しては適切な人工呼吸管理を行えば確実に救命できる 3。 わが国では,1948年に愛知県で初めてPSPが疑われる中毒が発生し 4,1975年に三重県でA.catenellaによる赤潮が初めて観察され,貝類から麻痺性貝毒が検出された 4, 7。我々の渉猟し得た限りでは,2013年までに推定や未届けを含め,全国で中毒事件が18件発生し,164人の患者と4人の死者が出ている 3, 4, 8, 9, 10(Table 2)。死亡例のうち,文献上死因が明らかなのは1例のみで,1979年に北海道で発症したPSPの患者が呼吸麻痺を伴う全身麻痺で死亡している 4。井上ら 10は,貝摂食後2時間後に呼吸停止を来したが,適切な人工呼吸管理によって障害を残さず救命された1例を報告している。現在わが国では,厚生労働省が麻痺性貝毒の毒性が規制値を超える貝類の販売を禁止している 3。また各都道府県によって,二枚貝生産海域区分ごとのプランクトンの調査と定期的な貝の毒性調査が行われ,毒性が規制値を超えた場合は出荷停止措置が行われる 3。1978年に上記措置が取られてから,市場に流通した二枚貝によるPSPの発生はないが,個人で採取した貝類で稀に発生している。1998年~2013年では,PSPは2008年,2010年,2013年にそれぞれ1件ずつ発生し,患者は計6人,死者0人と報告されている 3。 一方,世界的には,PSPは1年間に約2,000症例が発生し,死亡率は15%との報告 11がある。また,1年間に1,600症例が発生し,約300例は致死的(死亡率18.8%)との報告 12もあり,PSPはその死亡率の高さからフグ中毒以上に恐れられている。 本症例の鑑別診断としては,脳血管障害,アナフィラキシー,ベル麻痺,神経性貝中毒が挙げられる。脳血管障害は,頭部CT・MRI検査で否定された。アナフィラキシーについては,全身皮膚の発赤・潮紅,蕁麻疹や眼瞼浮腫は認めず,口頭浮腫・喘息・ショックなどの症状を認めていないことから,否定的と考える。ベル麻痺については,単純ヘルペスウイルスの抗体検査を行っていないので,その点で否定はできない。しかし,本症例は,第4病日に麻痺の改善が認められ,第12病日に完全回復している。この回復の速さは,完全麻痺のベル麻痺からの回復としては例外的に早い。Peitersenら 13のベル麻痺患者1,701例の調査では,不完全・完全麻痺を含めて,発症から2週間以内に治癒した例はわずか3%と報告している。加えて,牡蠣の口唇への接触を契機に発症したこと,口唇や頬粘膜のしびれ,構音障害,複視,腹痛,下痢などの症状を伴うことから,ベル麻痺は否定的と考えた。神経性貝中毒は,口内のしびれとひりひり感,運動失調,温度感覚異常などの神経障害を特徴とし,食後1~3時間で症状が現れ,嘔気,嘔吐,腹痛,下痢などの胃腸障害を伴うこともあり,アメリカやニュージーランドで発生する 14。胃腸障害を伴うところは本症例に合致するが,神経性貝中毒はこれまで日本では発生報告がないこと,本症例は国産の牡蠣による発症であることから,神経性貝中毒は可能性が低いと考えた。 Sobelら 1は,確定診断の検査手段がない臨床現場では,PSPを24時間以内の貝類摂食の事実と臨床症状から診断すると述べている。井上ら 10も,PSPの診断は病歴,症状から行うのが一般的で,患者の生体試料や残食の試料から毒成分を検出することは難しいと述べている。今回,保健所の調査では,本症例はPSPと断定できないと判断された。しかし我々は,牡蠣摂食後から発症したことは間違いなく,PSPに合致する症状があり,ほかに可能性の高い疾患を挙げられないことから,PSPとの診断は妥当と考える。今回は,患者の生体試料の分析は行っていない。米国では,PSP疑いの患者を診察した医師は,直ちに地域の保健機関に報告し,患者の尿を凍結保存して検査施設に送るようである 15。患者が単独で,残食もない場合,患者の生体試料は診断の有力な根拠となる。わが国でも,公的機関で患者の尿を緊急検査するシステムの必要性を感じる。 顔面神経麻痺については,PSPの症状を詳細に記載した報告が少なく 9, 10,一般的な症状の一つである顔面の麻痺が顔面神経麻痺を指しているかどうか,明らかにできなかった。しかし我々が,PubMedと医中誌Webで検索した限りでは,顔面神経麻痺を伴ったPSPの報告はなかったことから,本症例は極めて稀と考えられた。本症例の顔面神経麻痺は片側性であったが,これは貝毒が口腔粘膜や消化管から血中に吸収された結果の症状ではなく,接触した右側の口腔粘膜から速やかに貝毒が浸潤した結果による局所的症状ではないかと考える。 本症例の症状発現は極めて早い。これは貝毒が高濃度だったことに起因することも考えられる。しかしその場合は,消化管からも毒が吸収され,四肢のしびれ・呼吸筋麻痺が出現するなど,重症化するのではないかと思われた。また,高濃度の貝毒を含む貝を摂食し,摂食後1分以内に症状が発現した症例 15はあるが,同じ貝毒濃度の貝を摂食し,発症までに1時間かかった症例 15もあることから,症状発現の早さは単に高濃度ということでは説明がつかないと考える。PSPは,個々の患者によって摂食した毒量と症状の重症度に相当な違いがみられ,それは毒に対する患者ごとの感受性の違いとされている 16。本症例では,貝毒が,局所浸潤は速いが弱毒性のものであった可能性や,患者の貝毒に対する感受性が異常に高かった可能性などが考えられた。 本症例は発症が牡蠣摂食直後であり,患者が問診で牡蠣の摂食を言いそびれることがなかったためPSPを見過ごすことはなかった。しかし患者が牡蠣の摂食を話さなければ,ベル麻痺と速断して帰宅させてしまい,数時間後に呼吸筋麻痺を来した可能性があったと考える。ベル麻痺と思われても,貝類摂食の有無を含めた発症時の詳細な病歴聴取は必要である。 これまでPSPによる片側性末梢性顔面神経麻痺の報告例はなく,本症例は極めて稀と考えられた。顔面神経麻痺の予後は良好であった。貝摂食後に発生した顔面神経麻痺の診療の際は,安易にベル麻痺と速断せず,詳細な病歴聴取でPSPを鑑別診断し,呼吸筋麻痺の発生に留意した入院・経過観察が必要である。 利益相反はない。

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