Abstract
5·16クーデター集団は反共意識で武装しており、よく構築された反共体制 で国家と国民を効率的に管理できることも知っていた。このような認識は、クーデ ター政権の初期から反共体制構築に集中させた。反共体制構築の過程は、 人的整理と法的整理で展開された。人的整理のためには反共フレームの拡大 が必要であり、法的整理のためには新しい法律が必要であった。そのために在 日朝鮮人スパイを操作して反共、容共の範囲を拡大し、反共法を新たに改正 して国家保安法と相互補完制で運用した。 韓国現代史における間諜の登場は、反共国家の言説に重要なツールで あった。植民地と分断の経験を持つ韓半島の歴史は、在日朝鮮人をスパイとし て操作するのに様々な面で有利であった。そのため、スパイ比重の中で全体の スパイは減少する一方、在日朝鮮人、日本関連スパイの比重が高くなった。 在日朝鮮人間諜敍事の始まりを告げる事件が民族日報趙鏞壽事件だった。 反共法まで加わった反共フレームの拡大と再構築は、共産主義を容共思想を 阻止することにとどまらず、国民の心情に内面化する作業につながった。クーデ ター集団は反共法ですべての領域を監視し、国民は自己検閲を通じて、容共 ではないことを証明しなければならなかった。容共、共産主義の疑惑が疑われ る兆候を見せただけで、「国民」はもはや「国民」ではなかった。クーデター集団 が作った国家は、自由でも民主主義でもない反共国家そのものだった。
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