Abstract
本論文では、異国旅行小説に登場する異国がどのように描写され認識されているかを分析した。また、異国旅行小説の作品は道徳的、論理的観点から異国より優れているという自国への優越意識を見せている。異国の制度と風習になぞらえて日本社会を批判したり、風刺したりしている点に注目して考察を行った。 異国の旅行小説は異国の奇怪な存在と風習から教訓を引き出し、日本の優越性を強調し、説教色が濃い作品になっている。それによってファンタジーに満ちた想像の異国は色あせてしまう。教訓が中心となった異国旅行小説は、世の中の法度から分離し、自由な想像が走り遊ぶ世界までは至らなかった。現実世界の論理を超えた想像と驚異の世界は、養生と道徳という観点に吸収される。そして現実から脱皮しようとする欲望、遠い異国に対する憧れ、世界認識に対する警戒の拡大など、絶対的な他者性認識までは届かなかった。結局、想像力が幅を利かせる異国は、当時の江戸時代の現実論理によって抑制され、規制を受けることになった。
Published Version
Talk to us
Join us for a 30 min session where you can share your feedback and ask us any queries you have