経鼻胃管症候群とは,経鼻胃管留置後に咽頭痛,両側声帯の外転麻痺,喉頭浮腫を発症する症候群である。両側声帯麻痺を認めれば気道緊急を要し,しばしば致命的となる。症例は46歳の男性。墜落外傷により当院搬送となった。精査の結果,外傷性くも膜下出血,第6・7頸椎・第6–10胸椎骨折,第6・7頸髄・第6–8胸髄損傷と診断し,入院加療を開始した。第2病日麻痺性イレウスを発症し,経鼻胃管を留置し,減圧加療を開始した。第11病日吸気性喘鳴を聴取し,酸素8L/分投与下でSpO2(経皮的酸素分圧)88%まで低下を認めた。喉頭ファイバースコピー検査で両側声帯麻痺を認め,気道緊急として経口気管挿管を施行し,人工呼吸管理を開始した。第14病日気管切開術を施行した。第39病日声帯麻痺の治癒を確認した。第45病日リハビリテーション目的に転院した。 Nasogastric tube syndrome presents as throat pain, bilateral abductor paralysis of the vocal cords and pharyngeal edema after nasogastric tube placement. This syndrome often requires emergency airway management due to bilateral abductor paralysis and thus can be fatal. A 46–year–old man was transported to the emergency room due to trauma from a fall. We diagnosed traumatic subarachnoid hemorrhage, cervical and thoracic spine fractures, and cervical and thoracic spinal cord injury, and admitted him. On hospital day 2, a nasogastric tube was inserted due to paralytic ileus. On day 11, wheezing was heard on exhalation, and his SpO2 decreased to 88% on oxygen at 8L/min. Laryngeal fiberscopy revealed bilateral vocal cord paralysis, so he was intubated orally. A tracheotomy was performed on day 14. The vocal cord paralysis had healed by day 39, and on day 45, he was transferred to another hospital for rehabilitation. 経鼻胃管症候群とは,経鼻胃管留置後に咽頭痛,両側声帯の外転麻痺,喉頭浮腫を発症する症候群である。両側声帯麻痺を認めれば緊急気道確保を要し,しばしば致命的となる。今回,頸髄損傷を背景として経鼻胃管留置中に両側声帯麻痺を発症した1例を経験したので報告する。 当論文は当院倫理委員会の承諾を受け,個人情報保護法に基づいて匿名化を行っている。また,患者およびその家族から論文の出版に関する同意を得ている。 患 者:49歳の男性。身長180cm,体重91.6kg,BMI 28.3 既往歴:統合失調症 内服薬:アリピプラゾール,フルニトラゼパム,ゾルピデム酒石塩酸,クエチアピンフマル酸塩,アムロジピンベシル酸塩 現病歴:自宅3階からの飛び降りによる転落外傷で受傷した。目撃者が救急要請し,当院救急搬送となった。 来院時現症:気道は開通,呼吸音 清,呼吸様式 正常,呼吸数16/分,SpO2 97%(酸素10L/分 投与下),血圧85/45mmHg,脈拍72/分,Glasgow coma scale E3V5M6,瞳孔径2mm/2mm,対光反射は両側迅速,体温36.2度(腋窩温)であった。 身体所見:後頭部に約20cmの裂創を認めるが活動性出血は認めなかった。右膝・両踵に擦過傷を認めた。徒手筋力テストは両上下肢いずれもMMT 3以上であるが,意思疎通がとれず,詳細な評価は困難であった。持続勃起や肛門括約筋の弛緩は認めなかった。 血液検査:WBC 17,300/µL(Neut 89.4%),Hb 16.4g/dL,Plt 34.9×104/mm3,PT–INR 1.17,Fibrinogen 180mg/dL,APTT 22.2秒,D–dimer 41.21µg/mL 動脈血液ガス分析(酸素マスク10L/分投与下):pH 7.359,PaCO2 38.0mmHg,PaO2 148.1mmHg,HCO3− 20.9mmol/L,B.E. −4.0mmol/L,lactate 29.2mg/dL 全身CT画像検査:外傷性くも膜下出血,第6・7頸椎棘突起骨折,左第4・5肋骨骨折,第6–8・10胸椎椎体骨折を認めた。 来院時ショックの状態であり,神経原性ショックの可能性を念頭に置いて診療したが,輸液負荷のみで血圧は安定し,入院加療を開始した。血液検査でのWBCおよびD–dimerの上昇は外傷に起因するものと判断した。第2病日,腸蠕動音減弱および腹部レントゲン検査で小腸の拡張を認め,麻痺性イレウスと診断し,減圧目的に20Frの経鼻胃管を留置した。第3病日下肢の筋力低下の訴えがあり,頭部・頸椎・胸椎MRI撮像したところ,T2強調像で第6椎体前面および第6–7頸髄内,第6–8胸髄内の高信号を認め,第6–7頸髄損傷,第6–8胸髄損傷と診断した(Fig. 1)。頸椎カラー装着継続で保存加療の方針とした。リハビリテーション目的の転院調整を開始しようとしたが,第11病日突然の吸気性喘鳴を認め,ボスミン筋肉注射を行うも改善を認めなかった。喉頭ファイバースコピー検査で両側声帯麻痺と診断した(Fig. 2A)。次第にSpO2は低下し,酸素8L/分 投与下にSpO2 88%前後まで酸素化低下を認めた。その時点での動脈血液ガス分析では,pH 7.501,PaCO2 48.8mmHg,PaO2 67.9mmHg,HCO3− 37.3mmol/L,B.E. 12.5mmol/L,lactate 11.8mg/dLと低酸素血症,高二酸化炭素血症を呈していた。経口気管挿管による気道確保を行い,人工呼吸管理を開始した。その後は原因検索を行ったが器質的疾患はいずれも否定的で,経鼻胃管症候群と診断した。麻痺性イレウスは遷延しており,経鼻胃管の抜去は困難であったため,第13病日経鼻胃管を18Frに入れ替えた。長期の気管挿管となることが予想され,第14病日気管切開術を施行した。腸蠕動音正常,腹部レントゲン検査で小腸の拡張の改善を認め,麻痺性イレウスの治癒と判断し,第16病日栄養投与目的に経鼻胃管を10Frに入れ替えた。第39病日喉頭ファイバースコピー検査で声帯麻痺の治癒を確認した(Fig. 2B)。精神状態悪化による昏迷状態となっており,気管切開チューブはスピーチカニューレへの入れ替えにとどめた。第45病日頸椎カラーは装着を継続しリハビリテーション目的に転院した(injury severity score: 17,probability of survival: 0.97972であった)。 Magnetic resonance imaging of the cervical and thoracic vertebrae. MRI(T2)revealed spinal cord injury at the sixth and seventh cervical vertebrae and from the sixth to eighth thoracic vertebrae (red arrow), and 5–mm retropharyngeal hematoma (yellow arrow). Laryngeal fiberscopy. A: Laryngeal fiberscopy showed abnormal abducton of the vocal cords. (during the phase of expiration (left) / inspiration (right)) B: Laryngeal fiberscopy showed recovery of the vocal cords from abductor disorder. (during the phase of expiration (left) / inspiration (right)) Cervical computed tomography (CT). Computed tomography revealed a 6–mm retropharyngeal hematoma (red arrow). 経鼻胃管による咽頭への影響は1939年Wangensteen 1により初めて報告され,その後しばしば症例報告が散見される程度であった。1981年Sofferman 2は,経鼻胃管留置中に咽頭痛,片側あるいは両側の声帯の外転機能不全を来す症候群を経鼻胃管症候群と定義した。診断は,喉頭ファイバースコピー検査で声帯麻痺と診断し,かつ原因となりうる疾患を除外したうえで,臨床的に診断することが多い。発症のタイミングは経鼻胃管を留置して12時間後から抜去2週間後まで多様である 3。 病態は完全には解明されておらず,機序として,①咳嗽や嚥下の際に固定された経鼻胃管と咽頭が垂直方向へ摩擦が起きること,②仰臥位で輪状後部が頸椎側から経鼻胃管により圧迫される,③輪状咽頭筋の収縮が経鼻胃管を脆弱で薄い輪状軟骨後板へ持続的に引き上げる,といったことが推測されている 2。その結果,経鼻胃管による輪状後部への持続的圧迫から結果的に潰瘍形成や感染,虚血が生じ,後輪状披裂筋の機能不全が生じると考えられている 2, 4。糖尿病や低免疫状態,低栄養,加齢に伴う粘膜弾性の低下,パーキンソン症候群,脳血管障害に伴う生理的な嚥下運動の減少による除圧頻度の減少,輪状軟骨レベルでの骨棘突出がリスク因子と言われている 2, 5, 6。経鼻胃管の太さがリスク因子とする報告はない。桜井ら 7による10Frの経鼻胃管を留置していた4例の報告があり,決して細いチューブがリスクを軽減するわけではないと考えられる。またチューブの径が太い方が輪状後部への影響を与える可能性は高く,リスクとなりうると考えるが,今後検討すべき事項である。Friedmanらは,経鼻胃管が声帯部を正中で走行するのは約6%と少ないものの,動物モデルで側方を走行するより正中を走行する方が炎症を生じやすい可能性があると報告している 8。 本症例において,初療時のCT画像や第3病日のMRI画像では声帯自体や輪状軟骨後部を含め声門周囲の直接的な外傷性変化は指摘できなかった。咽頭後間隙の血腫は第1病日のCTで6mm,第3病日のMRIで5mmであった(Fig. 1, 3)。リスク因子は入院後に発症した麻痺性イレウスの影響による低栄養のみであった。経鼻胃管はCT画像で確認する限り,声門部では側方を通過していた。喉頭ファイバースコピー検査の際も側方を通過しているのを確認できた。入院後は頸髄損傷のため,仰臥位での安静時間がほとんどであった。しかし,頸髄損傷で経鼻胃管の留置が必要であった患者はこれまで多く経験しているが,当院で経鼻胃管症候群と診断したのは初めてであり,頸髄損傷などで輪状軟骨レベルでの損傷がある外傷症例での経鼻胃管症候群の報告は,我々が渉猟する限り見られなかった。以上から,本症例では低栄養状態や長期臥床の影響だけでなく,リスク因子として知られている輪状軟骨レベルの骨棘突出と同様の機序で,頸部外傷による咽頭後間隙の血腫・炎症性変化が経鼻胃管による輪状後部への刺激を増強し,炎症や虚血を起こしたのではないかと考えられた。頸髄損傷に偶発的に合併した可能性は否定できないが,椎体前面の外傷性変化が一因となり,経鼻胃管症候群を発症しうることが示唆された。椎体前面に血腫を形成する頸髄損傷の症例には重症度の差がある。軽症例では,通常経口摂取が可能で経鼻胃管が留置される可能性は高くない。一方,重症例では,腹式呼吸や喀痰喀出困難を原因とした呼吸不全に対する気管挿管のタイミングで経鼻胃管が留置されることが多い。その後十分な声帯の評価が行われずに気道確保や気管切開が行われていることが多く,経過中に経鼻胃管症候群を発症していても認知されていない可能性がある。本症例は腹式呼吸を呈するような重症例ではなかったものの,イレウスを発症したことで経鼻胃管が留置され,頸椎前面の外傷性炎症と相まって,経鼻胃管症候群の発症に至った。それに加え,咳嗽減弱や喀痰喀出困難をそれまで認めていなかったという経過から,本症に気づくことができたのではないかと考えた。 治療は経鼻胃管の抜去が必須とされている 9。その他,抗菌薬やPPI,副腎皮質ステロイドなどが投与された報告はあるが,確立した治療法はない。声帯外転障害が改善せず気管カニューレが抜去できないこともある 3。本症例では,治療上経鼻胃管を抜去することは困難であり,まずは経鼻胃管を減圧の治療の障害にならない範囲で細いものに入れ替えたのちに,経鼻胃管を留置している限り短期間での治癒は見込めないと判断し,気管切開術を行った。発症から29日後に声帯麻痺の治癒を確認できた。検索する限り今まで経鼻胃管を抜去せずに経鼻胃管症候群が治癒したという報告は見られなかった。治癒までの期間は長くなるかもしれないが,本症例のように治療上必要であれば経鼻胃管を抜去せずとも治癒する可能性があることが示唆された。 本症例は外傷症例の亜急性期に発生した吸気性喘鳴を契機に,各疾患を除外してから経鼻胃管症候群と診断できた。経鼻胃管症候群は比較的近年に定義された症候群であり,とくに2010年以降の症例報告が増加している 7, 9。これに関しては,経鼻胃管の留置数が著明に増加しているわけではないと考えられることから,発症する頻度が増加したわけではなく,この疾患の概念が認識され始めたことに影響しているものと推測された。対応が遅れると致命的となりうるだけでなく,本疾患を鑑別に入れておかないと経鼻胃管を抜去するなどの対応が遅れ,治癒までの期間が延長しうる。とくに救命・集中治療部門において経鼻胃管は留置されていることの多いデバイスであり,経鼻胃管を留置する際は本合併症に留意して管理を行う必要がある。 椎体前面の外傷性変化が一因になったと考えられた経鼻胃管症候群の1例を経験した。経鼻胃管はよく留置されるデバイスであり,両側声帯麻痺を発症した場合,緊急気道確保を行うとともに,経鼻胃管症候群を鑑別に挙げて治療を行う必要がある。 本論文の要旨は第122回近畿救急医学研究会(2021年,大阪)で発表した。 本稿のすべての著者に規定された利益相反はない。