Abstract

In this paper shares and discusses questions that arose from music therapy sessions with an adolescent with severe multiple disabilities, with people not directly involved in the case. In the early sessions with this client, I wondered, “How can I make music with this client?” I intuitively felt that this question was not confined to the dyadic relationship between the client and myself as therapist, but was connected to the larger social structure and the various values and relationships within it. To share this question with those not directly involved in the case, I organized a small dialogue event using the Philosophy Cafe method. Through this, participants got a taste of each other's differing views and discovered new viewpoints together, thus enabling them to create a shared image of the word. This could serve as an example of how clinical music therapy practice can connect with the community surrounding it, and open up the case to society. Such dialogue also enables careful examination of the words and concepts used in the field of music therapy. This could lead to a review of the use of these words and concepts which had been developed from a modern, Western-centric perspective.

Highlights

  • まず、ここでの対話の特徴として挙げられるのは、事例から生まれた問いを直接の テーマにして話すわけではなく、そこから生まれたキーワードをもとに参加者によっ て新たな問いが立てられ、そのテーマに沿って対話を行った点である。もし、事例か ら生まれた問いについて参加者が直接対話すれば、事例に関わる差異や不均衡な力関 係がそのまま対話に持ち込まれるだろう。音楽療法に携わる人々は、この事例をどう 発展させるべきかについて職業的専門性の見地から語るかもしれないし、音楽療法に 携わっていない人たちは、知らなかったことを教わることに徹するかもしれない。あ るいは、自らを“健常”の側にいると考える参加者によって、障害のある人の意図や権 利をいかに尊重するべきかについて話し合われるかもしれない。しかしここでは、対 話のテーマは事例から導き出されてはいるものの、参加者によって立てられたより普 遍的な問い―「“共に感じる”ことと“寄り添う”ことは違うのか」-へと置き換えられ ている。このことによって、参加者は事例について第三者的な立場から考えるのでは なく、「あなたにとって“他者と共にいる”ってどういうこと?」を自分自身のことと して考えることが求められる。つまり、このような設定によって、参加者が職業的専 門性における立場や属性をいったん脇に置いて対話に参加し、人々の間にある差異を 自分自身の経験に照らして考える機会になったのではないかと思われる。

  • 哲学カフェでは、テーマに沿って、他者の話をじっくりと聞き、その時々で自分が 考えたことや感じたことを自分の経験に即して語ることが求められる。参加者の語り は必ずしも首尾一貫している必要はなく、また前の人の語りを受けて話さないといけ ないわけでもない。途切れ途切れでもよいし、対話の途中で自分の考えが変わった り、わからなくなったりしてもよい。哲学カフェでは、そのような「自分が当たり前 と思っていることが揺らぐ経験」が大事にされる。つまり、それぞれの参加者が自ら の当たり前としている視点に気づき、他者の視点を組み入れて新たな視点から物事を 捉えることが重要である。対話の進行役は、参加者の語りを助けたり、語られたこと の意味が明確であるかを他の参加者に尋ねたり、発言者どうしの意見を関連づけたり して、対話を促進する「交通整理」のような役割を果たす。時には進行役も一緒に道 に迷いながら対話が進められる。

  • 5. 現在、私は生野里花さんと共同で、音楽療法士が自らの臨床経験から出発して研究の問い を立ち上げ、育てていくためのピア対話グループ「ここのわ音楽療法臨床研究対話会」を 主宰している。ここでは、本稿で行った哲学カフェよりも直接的に互いの臨床実践につい て話しているが、対話の基本的姿勢は共通している。ここでの仲間との対話が、本稿の振 り返り部分を書く上で大いに参考になった。ここのわのメンバー、とりわけ2021年の日本 音楽療法学会学術大会自主シンポジウムで討論した生野さん、布施葉子さん、伊藤孝子さ ん、Simon Gilbertsonさんに、心より感謝する。ここのわ音楽療法臨床研究対話会: https://nlnmhd.wixsite.com/website/blank-28

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Summary

Introduction

まず、ここでの対話の特徴として挙げられるのは、事例から生まれた問いを直接の テーマにして話すわけではなく、そこから生まれたキーワードをもとに参加者によっ て新たな問いが立てられ、そのテーマに沿って対話を行った点である。もし、事例か ら生まれた問いについて参加者が直接対話すれば、事例に関わる差異や不均衡な力関 係がそのまま対話に持ち込まれるだろう。音楽療法に携わる人々は、この事例をどう 発展させるべきかについて職業的専門性の見地から語るかもしれないし、音楽療法に 携わっていない人たちは、知らなかったことを教わることに徹するかもしれない。あ るいは、自らを“健常”の側にいると考える参加者によって、障害のある人の意図や権 利をいかに尊重するべきかについて話し合われるかもしれない。しかしここでは、対 話のテーマは事例から導き出されてはいるものの、参加者によって立てられたより普 遍的な問い―「“共に感じる”ことと“寄り添う”ことは違うのか」-へと置き換えられ ている。このことによって、参加者は事例について第三者的な立場から考えるのでは なく、「あなたにとって“他者と共にいる”ってどういうこと?」を自分自身のことと して考えることが求められる。つまり、このような設定によって、参加者が職業的専 門性における立場や属性をいったん脇に置いて対話に参加し、人々の間にある差異を 自分自身の経験に照らして考える機会になったのではないかと思われる。. 三宅 博子 Hiroko Miyake 1 * 1 Department of Music Cultures & Education, Kunitachi College of Music, Japan (国立音楽大学 音楽文化教育学科) *hirokomiyake0805@gmail.com Received: 20 December 2018 Accepted: 4 November 2021 Published: 1 March 2022 Editor: 生野里花 (Ikuno Rika) Reviewers: Stuart Wood, Melissa Murphy, Viggo Krüger セッション開始当初、私は「クライエントとどうやって一緒に音楽できる?」とい う問いを抱いた。私は、この問いがクライエントとセラピストである私との二者関係 に閉じているのではなく、より大きな社会の構造のなかにあって、そこでの様々な価 値観や関係に結びついていると直観的に感じた。そこで私は、事例に直接関わりのな い人々とこの問いを共有すべく、哲学カフェという手法を用いて小さな対話のイベン トを行った。ここでは、参加者がお互いの見方の違いを味わい、新たな見方を一緒に 発見することを通して、そこで論じられた言葉のイメージを共有するプロセスが生じ ていたと思われる。 VOICES: A WORLD FORUM FOR MUSIC THERAPY

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