Abstract

1961年に開始される宇部市の彫刻設置事業は, 美術作品としての彫刻を計画的, 継続的に都市空間に設置する, いわゆる「彫刻のある街づくり事業」の第1号である。ここでは数多くの抽象作品が日本で初めて設置の対象となった。この事業の開始時に関与した人々の事業に対する期待を分析した結果, 彫刻により都市環境の改善を図りたい宇部市と社会から自律した作品を自由に制作したかった彫刻家の期待の間には大きな齟齬が存在したことがわかった。両者の媒介となったのが, 美術評論家の土方定一であり, 土方は設置事業と野外彫刻展を組み合わせることにより, この問題の解決を図り, さらに彫刻自体の発展に重大な貢献を果たした。

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