Abstract

本考は, 日本人が中国杭州西湖を天下の名勝として認識し, 評価するにいたる経過を明らかにした。西湖イメージは9世紀頃に『白氏文集』によって導入されたが, 13世紀に入った頃から蘇輯や林和靖の漢詩及び禅僧の記述などによって徐々に注目されるようになった。その場合, 西湖周辺の山々, 寺院, 孤山, 蘇堤など一部の景観のみが認識され, また隠者・林和靖などの人文要素との関連で西湖を理想的隠逸世界としてイメージしていたこと。さらに, 17世紀になると『西湖図』『西湖遊覧志』などを介して,「西湖十景」を含む全体的な景観構成が認識するようになり, そして19世紀では一般的に中国を代表する風景地としての評価が定着していくようになったことが考察される。

Full Text
Published version (Free)

Talk to us

Join us for a 30 min session where you can share your feedback and ask us any queries you have

Schedule a call