Abstract

長崎県壱岐島の農村部では、古くから<背戸山+宅地+前畑+畑・他>の土地利用からなる散居集落の形態をとる。散居ユニットという<背戸山+宅地+前畑>のまとまりと、それ以外の田畑から構成されるのが壱岐の農村部の土地利用である。現在その散居集落の幹線道路沿いにおいて、建物が立ち並び土地利用が変化しつつある。しかし、いつ頃からどのように変化しているかは明らかでない。そのような土地利用の変化が見られる郷ノ浦町本村触を対象地として、明治期以降の土地利用変遷を明らかにする。まず、旧土地台帳と明治期の地籍図を用いて、対象地の復元地籍図を年代別に作成し、宅地化前後での土地利用の変化を見る。そしてグラフ化し数値的に土地利用変遷を分析する。結果としては、壱岐島郷ノ浦町本村触において、散居ユニットは明治30年代まで形を保っていたが、幹線道路沿いの宅地化が山側から始まって散居ユニットの一部が宅地になり、平坦な側も大正期から宅地化が始まり、昭和40年代には道沿いのほぼ全体が宅地化されるという土地利用の変遷を明らかにできた。

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