Abstract

一過性全健忘は急激な記銘力障害を生じるため,それを主訴に救急外来を受診することがある。今回我々は,一過性全健忘様症状を主訴に来院し,精査にて左帯状回から脳梁膝部にかけての小梗塞がその原因として考えられた1例を経験した。症例は76歳の女性。東京在住の夫に会いに行くために宮崎空港から羽田空港まで空路で移動し,その後東京モノレールならびに山手線で移動したが,宮崎空港から山手線までの間の記憶がなく当院を受診した。当院来院時,意識レベルは清明で記銘力障害はみられず,明らかな神経症状は認めなかったが,先に述べた約4時間の記憶はなかった。記憶のなかった間もとくに問題なく一人で飛行機や電車に乗り,荷物の引き取りもできていた。頭部MRI検査では,左帯状回から脳梁膝部左側にかけて小梗塞を認め,これが症状の原因と思われた。急性期脳梗塞の診断にて入院加療し,神経学的脱落症状を残さず入院第7日目に独歩退院となった。一過性全健忘を主訴として外来を受診した場合,多くは頭部CT検査での異常や頭部打撲,てんかんの既往などがない場合は一過性全健忘と診断されるが,CT検査でも診断困難な脳梗塞の可能性もあるので,一過性全健忘の背景因子をもたず,かつ動脈硬化の危険因子を有している場合は,頭部MRI検査を行うなどの注意が必要と思われる。 Transient global amnesia (TGA) causes sudden deterioration of memory function. We report a 76–year–old woman who presented with TGA–like symptoms caused by a small infarction from the left cingulate gyrus to the genu of corpus callosum. The patient had traveled from Miyazaki Airport to Haneda Airport in order to see her husband. However, she noticed that she experienced a lapse of memory during this time, and consequently visited our emergency clinic. At the clinic, she was alert and showed no obvious neurological symptoms including memory disturbance. Although she did not remember the four–hour event described above, she did not experience any trouble at the airport. A magnetic resonance imaging revealed a small infarction from the left cingulate gyrus. This lesion seemed to be the cause of her symptoms. In cases of acute amnesia without any neurological symptoms, most seem to be diagnosed as TGA, especially if there is no episode of epilepsy or any abnormal findings in the computed tomography scan. However, it may be important for emergency physicians to be aware that TGA–like symptoms resulting from small cerebral infarction may occur if the patient has risk factor for atherosclerosis. 一過性全健忘(transient global amnesia: TGA)は,一過性の順行性健忘ならびに逆行性健忘を生じる疾患であり 1,通常その持続時間も1日以内であることが多く 2,また脳血管障害などの危険因子とされておらず予後良好な疾患と言われている 3。しかしながら,症状の発現が急激であるのでしばしば救急外来を受診する。病歴や診察所見から,側頭葉てんかんの可能性やビタミンB1欠乏症,頭部打撲による脳震盪などを鑑別し,頭部CT検査などで頭蓋内に器質的病変がなければ,TGAと診断されることが多い。しかしながら,陳述記憶をつかさどるPapetz回路を構成する構造物を含む小梗塞が一過性全健忘様症状の原因となっていることもあり注意が必要である 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10。今回我々は,左帯状回から脳梁膝部にかけての急性期小梗塞により一過性全健忘様症状を生じた1例を経験した。この症例を通じ,一過性全健忘様症状を主訴に受診した患者において,初診時にどの程度まで頭部magnetic resonance imaging(MRI)検査による精査を考慮したら良いかについて検討したので報告する。 患 者:76歳の女性 主 訴:旅行中の記憶がない。 既往歴:高血圧と脂質異常症にて内服加療を受けている。てんかんの既往はない。 現病歴:東京在住の夫に会うために,朝,宮崎空港に一人で行った。予定どおり飛行機に搭乗し羽田空港に到着した。その間の行動はしっかりしており荷物の受け取りもできた。その後羽田空港から東京モノレール,そして山手線で移動したが,宮崎空港を出発してから山手線に乗るまでの約4時間の記憶がないのに気づいた。様子をみていたが,どうしてもその間のことが思い出せないため,発症から6日後に当院を受診した。 来院時現症:身長148cm,体重52.0kg。血圧148/71mmHg,心拍数61/分,整,SpO2 98%(room air)。意識レベル清明。記銘力障害や明らかな神経症状は認めなかった。来院時の血液検査でも明らかな異常を認めなかった。心電図検査では心房細動などの不整脈は認めず,心臓超音波検査でも明らかな異常は認めなかった。TGAを生じる誘因はなく,さらに健忘を生じている間の行動異常もなく,病歴上側頭葉てんかんも考えにくいと思われた。頭部CT検査では明らかな異常は認めなかったが,同日行った頭部MRI検査では,左帯状回から脳梁膝部にかけて拡散強調像ならびにFLAIRで高信号を呈する5mm程度の病変を認め,同部のADC(apparent diffusion coefficient)は低下しており,急性期脳梗塞と診断した(Fig. 1)。なお,海馬には明らかな異常は認めなかった。頭部magnetic resonance angiography(MRA)では,左前大脳動脈の軽度の狭窄を認めた(Fig. 2)。頭部MRAで左前大脳動脈の軽度の狭窄性変化を認めたことと,心電図検査や既往歴において心房細動などの不整脈などは認めないこと,そして脂質異常症の存在などより,急性期アテローム血栓性脳梗塞との診断にて,受診日より入院加療とした。また降圧剤の投与による血圧のコントロール,そしてスタチン系薬剤の継続による脂質異常の安定化を行った。脳波検査では明らかなてんかん性異常は認めなかった。経過中症状の再発はなく,入院7日後に独歩退院となった。なお,現在発症後3年が経過するが,症状の再発を認めていない。 Brain MRI revealed an acute cerebral infarction from the left cingulate gyrus to the left side of the genu of corpus callosum (arrow). Left: Diffusion weighted axial image. Middle: Diffusion weighted coronal image. Right: FLAIR axial image. MRA revealed stenosis of the A2 portion of the left anterior cerebral artery. 一過性全健忘様症状を主訴に医療機関を受診した脳梗塞については,稀ではあるもののこれまでにいくつかの報告が散見される 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11。我々が渉猟し得た7例と自験例をTable 1に示す。病変部位としては,海馬や視床,帯状回や脳弓,脳梁など,いずれもいわゆるPapetz回路を形成する構造物に病変を生じているものがほとんどであり,その中でも視床に脳梗塞を生じているものが多かった 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11。その一方で帯状回から脳梁膝部に生じた脳梗塞により一過性健忘様症状を生じたものは,本症例を含めて2例のみであった 6。脳梗塞により一過性全健忘様症状を生じた症例の多くは50歳以上であり,また高血圧や脂質異常症という動脈硬化の危険因子を有していた。さらに病変のサイズも“small”や“spotty”と表現される小さいものが多く,かつ健忘の持続時間も2–4時間程度であった。これらの症例において,症状が短時間に回復した機序は不明であるが,1つの可能性としてdiaschisisが推測される。Diaschisisとは,脳血管障害に際し,病巣部位と神経線維連絡のある遠隔部位にみられる可逆性の機能抑制現象である 12。つまり,Papetz回路の一部に脳梗塞を生じた直後は,たとえ病変が小さくてもdiaschisisにより広くPapetz回路の機能低下を生じるために健忘が出現するものと思われる。しかしdiaschisisによるPapetz回路の広範な機能抑制は一過性であるために,その後症状が回復したものと思われる。また,別の可能性として,脳梗塞巣周囲のいわゆるischemic penumbraの部分の血流が時間とともに改善したために症状が一過性であったという推察もできる 13。脳梗塞のサイズがどの程度以上であれば健忘が残存するのかについても興味深いところであるが,過去の報告例において病変のサイズを記載しているものは1例のみであったため,具体的なサイズは同定し得なかった。 Pradalier A 8 2000 Ott BR 9 1993 Saito K 7 2003 Gallardo–Tur A 6 2014 Gupta M 5 2015 hyperlipidemia atrial fibrillation Yoshida K 11 2017 Present case 2017 一過性全健忘様症状を主訴に外来を受診した場合,脳血管障害の他に,側頭葉てんかんや一過性てんかん性健忘,ビタミンB1欠乏,脳震盪などを鑑別する必要がある 14。側頭葉てんかんの場合,発作中の記憶はないものの,その間しばしば行動異常を伴うことがあり,また会話も停止することが多く,発作の持続時間も数分から数十分程度が多い。一過性てんかん性健忘は持続時間が短く,通常は1時間以内に改善し,抗てんかん薬によく反応する 15。よって詳細な病歴の聴取によりある程度鑑別は可能である。また,ビタミンB1欠乏の場合,ビタミンB1が補充されるまで症状は持続し,脳震盪の場合は,頭部の詳細な観察で,ある程度鑑別は可能と思われる。また,脳血管障害においては,出血性病変は頭部CT検査で診断が可能である。しかしながら急性期の小梗塞は頭部CT検査では診断が困難である。TGAと診断する場合は前述した原因の除外診断が必要になる。TGAの診断基準をTable 2に示す 16が,我々の症例はこの診断基準に合致しており,TGAと診断されかねない症例であった。また,TGAはTable 2に示す特徴以外にも,50歳から75歳の発症が多く若年者の発症は稀であり 1,さらに,発症の約50%に精神的なストレスや疼痛刺激,性交中,カラオケや合唱などにvalsalva負荷がもたらされた時の発症など,背景因子を伴うことが多い 16, 17。 外来においては,一過性全健忘様症状を主訴として受診した場合,どの程度まで原因精査を進めるか,つまり頭部MRI検査まで考慮するかが問題となってくる。今回の症例においては,病歴より頭部打撲や側頭葉てんかんの可能性は低く,また頭部に明らかな打撲痕も認めなかった。さらに前述したTGAの背景因子も病歴からははっきりしなかった。そして脂質異常症と高血圧という動脈硬化の危険因子を有していたため,頭部MRI検査を行った。著者らが考える一過性全健忘様症状の診断の流れをFig. 3に示す。頭部CT検査で出血性病変を認めなくても来院時に健忘以外の神経症状を伴っている場合は,頭部MRI検査の施行を悩むことは少ないと思われる。しかし,来院時に健忘が改善しており,病歴上てんかん性異常も考えにくく,かつ頭部CT検査で明らかな病変を認めない場合でも,動脈硬化の危険因子を有し,背景因子となり得るようなエピソードがなければ,頭部MRI検査まで考慮すべきと思われる。 Diagnostic diagram for patient presenting with acute amnesia. PHx: past history, EEG: electroencephalogram, ECG: electrocardiogram, CT: computed tomography, MRI: magnetic resonance imaging, TGA: transient global amnesia, BS: blood sugar 一過性全健忘様症状で発症した左帯状回から脳梁膝部にかけての脳梗塞の1例を報告した。動脈硬化の危険因子をもち,TGAに報告されているような精神的ストレスや静脈圧上昇などの背景因子をもたない症例においては記銘力をつかさどる神経回路を構成する構造物の小梗塞が原因となっていることもあり,頭部MRI検査まで考慮した方が良いと思われた。 本報告にかかる開示すべき利益相反はない。

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