Abstract

患者は67歳の女性。約6か月前からの左低音性耳鳴を主訴に近医耳鼻咽喉科を受診し,左滲出性中耳炎と診断され,左鼓膜切開術を施行された。切開時に静脈性出血があり,直後に呼吸困難を訴え,意識が低下し救急要請された。救急隊接触時に室内大気下SpO2が80%であり,当科へ搬送された。当院到着時は意識清明で,高流量酸素投与下でSpO2 99%であった。経胸壁心臓超音波にて両心室内の微小気泡を認めた。頭部CTにて左内頸動脈内の気泡,左鼓室底の形成不全ならびに高位頸静脈球を認め,胸腹部造影CTにて肺動脈主幹部内の気泡,両側肺野に多発するすりガラス影を認めた。12誘導心電図で右心負荷所見を認めた。動静脈空気塞栓症と診断し,緊急で高気圧酸素治療を行い,その後は高濃度酸素投与や輸液療法を中心とした全身管理を行った。治療開始後速やかに呼吸状態は改善した。第3病日に施行した全身CTでは,動脈内空気塞栓像は消失し,第11病日に独歩退院した。高位頸静脈球は耳鼻咽喉科領域において比較的よくみられる解剖学的破格であるが,その損傷による動静脈空気塞栓症の報告はなく,非常に稀な合併症である。救急診療において,この解剖学的破格の認知および稀ではあるが,動静脈空気塞栓症を合併し得ることを認識すべきである。また,空気塞栓症に対し高気圧酸素治療が有効であり,専門施設への早期搬送も念頭において診療にあたる必要がある。 A 67–year–old woman, with a half–year history of tinnitus in the left ear, underwent tympanotomy for the treatment of otitis media with effusion in the left ear. During the procedure, moderate bleeding from the tympanum was observed; thereafter, she experienced dyspnea and lost consciousness and was transferred to our emergency department owing to low oxygen saturation. On admission, she was alert, and oxygen saturation improved. Electrocardiogram showed slight right heart strain pattern, and echocardiography showed microbubbles in both ventricles. Enhanced computed tomography (CT) revealed air in the left internal carotid artery and pulmonary artery, hypoplasty of the left tympanum bottom, and multiple ground glass opacity in both lungs. She was diagnosed with systemic air gas embolism (AGE) complicated with high jugular bulb injury. We administered hyperbaric oxygen therapy (HBOT) in addition to high flow oxygen supply and adequate rehydration therapy. Her respiratory condition quickly improved. CT performed on day 3 showed disappearance of intravascular air. She was discharged on day 11. High jugular bulb is a relatively common anatomical anomaly in otorhinolaryngology. Although AGE due to high jugular bulb injury is rare, physicians should recognize this fatal complication and consider transferring patients to specialized institutions equipped with an HBOT chamber. 頸静脈球はS状静脈洞から内頸静脈に移行する部位であり,通常,頸静脈球上縁は鼓室底よりも下方に存在するが,稀に鼓室底より高位に位置する解剖学的破格がある。 高位頸静脈球は耳鼻咽喉科領域で比較的よく遭遇するが,この損傷により動静脈空気塞栓症を発症したという症例報告は,我々が検索し得た範囲では自験例が初めてである。今回,我々は鼓膜切開による高位内頸静脈球損傷から動静脈空気塞栓症に至った1例を経験したので報告する。 なお,本論文は所属施設の倫理委員会の承認を得ており,個人情報保護に基づき匿名化されており,投稿にあたっては患者・家族に論文掲載に関して同意を得ている。 症 例:特記すべき既往のない67歳の女性 現病歴:入院約6か月前から続く左低音性難聴と耳鳴を主訴に近医耳鼻咽喉科を受診した。左滲出性中耳炎と診断され,診察室にて座位の姿勢で左鼓膜切開処置を施された。左鼓膜を切開した直後に,鼓室内から約30mLの静脈性の出血があった。直後に呼吸困難を自覚し,その後意識消失したため救急要請された。約2分後に意識は改善し,救急隊の現場到着時は意識清明であった。室内大気下の経皮的酸素飽和度(percutaneous saturation of oxygen: SpO2)が80%であったため,当院救命救急センターに搬送された。 来院時現症:意識清明,瞳孔不同なく左右ともに3mmで対光反射は迅速。血圧161/108mmHg,心拍数92/分,呼吸数25/分,SpO2 99%(リザーバーマスク10L/分投与下),体温35.8°C。眼瞼結膜の点状出血斑含め,全身にも点状出血斑なし。頸静脈怒張なし。四肢に粗大な運動麻痺はなく,知覚異常なし。左耳孔に希釈アドレナリン含有綿球を詰め込まれ止血処置されていた。 主要検査所見:白血球8,900/μL,血色素量13.2 g/dL,血小板247,000/μL,アルブミン4.0g/dL,ナトリウム137mEq/L,カリウム4.1mEq/L,クロール104mEq/L,クレアチンキナーゼ79U/L,AST 21U/L,ALT 13U/L,LDH 231U/L,尿素窒素13mg/dL,クレアチニン0.4mg/dL,BNP <5.8pg/mL,血糖107mg/dL,ヘモグロビンA1c(NGSP)6.1%,プロトロンビン時間(国際標準比)0.99,活性化プロトロンビン時間31.0秒,フィブリノゲン357mg/dL,D–ダイマー0.7μg/mL。血液ガス分析値(リザーバーマスク10L酸素投与下);pH 7.463,PaO2 116.0torr,PaCO2 34.7torr,HCO3– 24.5mmol/L,Lac 1.0mmol/L。 胸部単純X線写真:心胸郭比54.5%(仰臥位)。全肺野で透過性低下あり。 頭部単純CT:左内頸動脈内に気泡像を認めた(Fig. 1a)。左鼓室底の形成不全を認め,左高位頸静脈球が鼓膜に隣接していた(Fig. 1b)。 Computed tomography of head and chest on admission. a) A head CT on admission shows an air bubble in the left internal carotid artery (up arrow). b) An enhanced head CT obtained on admission shows the left high jugular bulb adjoined the left tympanum and hypoplasty of the left tympanum bottom (down arrow). c) An enlarged enhanced chest CT on admission shows air bubbles in the main trunk of the pulmonary artery (triangle). d) A chest CT on admission shows multiple ground glass opacity and wedged shape consolidation in peripheral areas of both lungs. CT: computed tomography 胸腹部造影CT:肺動脈主幹部に気泡像を認めた(Fig. 1c)。両側肺野末梢側に散在するすりガラス状陰影を認めた(Fig. 1d)。 経胸壁心臓超音波検査:駆出率69%,左房径28mm,右心系拡大なし,最大三尖弁圧較差22mmHg,下大静脈径9mm,卵円孔開存なし。両心室腔内に微小気泡像を認めた(Fig. 2)。 An echocardiogram on admission. An echocardiogram on admission shows micro bubbles in both ventricles (arrows). LA: left atrium, LV: left ventricle, RA: right atrium, RV: right ventricle 12誘導心電図検査:心拍数66/分の洞調律。正常軸。I誘導のS波,III誘導のQ波および陰性T波,いわゆるMcGinn–White patternがみられ,急性右心負荷所見を示唆する所見であった(Fig. 3a)。 An electrocardiogram on admission and on day 8. a) An electrocardiogram on admission shows S wave in I, Q wave in III, flat T wave in II, negative T wave in III and aVF ―the so called “McGinn–White pattern”. b) An electrocardiogram on day 8 shows disappearance of abnormal T wave change in II, III, and aVF. 来院後経過:当院到着時は意識清明であり,循環状態は維持され,呼吸状態も安定していた。全身CTにて,動静脈空気塞栓が確認されたため,高気圧酸素治療(hyperbaric oxygen therapy: HBOT)を米海軍治療表6欄に則り施行した。第2から4病日にかけて,米海軍治療表5欄に則り計3回HBOTを施行した。治療効果判定目的に,第3病日に頭部および胸部単純CT検査を施行したところ,内頸動脈および肺動脈内の気泡像は消失したが,肺野末梢側の楔状浸潤影の若干の増悪を認めた。しかしながら血液ガス分析では酸素化は著明に改善し,呼吸状態も改善傾向にあった。第3病日に頭部単純MRI検査を施行したが異常所見はなかった。第4病日には酸素投与を終了することができた。第5病日の胸部単純X線および胸部単純X線CTでは,肺野陰影は改善していた。第7病日の12誘導心電図では,右心負荷所見は消失していた(Fig. 3b)。同日に左鼓膜の診察を行ったところ,止血されており,左下象限に高位頸静脈球と思われる青色構造が透見できた。この時点で測定した平均聴力レベルは,右26.3デシベル,左81.3デシベルと高度の左混合性難聴を認めた。全身状態良好であり,第11病日に独歩退院した。 鼓膜切開に伴う頸静脈球損傷から動静脈空気塞栓症を来したが,早期のHBOTにより後遺症を残すことなく治療しえた1例であった。 頸静脈球はS状静脈洞から内頸静脈に移行するドーム状の部位である。通常,頸静脈球上縁は鼓室底よりも下方に位置するが,稀に鼓室底よりも高位に位置する解剖学的破格があり,高位頸静脈球と呼ばれる。古典的には八木ら 1の側頭骨単純X線写真によるI,II,IIIaおよびIIIbの4型分類があり(Fig. 4),東野ら 2は側頭骨CTを用いた内側型および外側型の2型分類を提唱している。本症例のCT所見では,左鼓室底の骨欠損がみられており,頸静脈球が鼓室内に露出していたことから,八木らの分類ではIIIb型,東野らの分類では外側型であった。高位頸静脈球は無症状のこともあるが,その位置や発達程度により難聴や耳鳴,めまいなどを呈し得る 3。本症例においても,来院の約6か月前からの低音性耳鳴の症状を呈しており,高位頸静脈球の症状と考えて矛盾しない。鼓膜切開術時の損傷により大出血を起こし得るため,疾患の存在や解剖学的位置を把握しておくことが重要である。 Variations of the superior bulb of the internal jugular vein. a) Type I has a normal structure. b) Type II shows that the superior bulb of the jugular vein is higher (high jugular bulb, HJB) compared to Type I. c) Type IIIa shows that the HJB is extended into the tympanic cavity, without affecting the jugular wall of the tympanic cavity. d) Type IIIb shows that the HJB is extended into the tympanic cavity, affecting the jugular wall of the tympanic cavity. 一方,静脈空気塞栓は,外科的手術や血管内治療,外傷などの静脈系の脈管への直接的な空気の流入により生じ,呼吸困難・低酸素血症などの呼吸不全,頻脈・血圧低下などの循環虚脱を来し得る 4, 5。また,動脈空気塞栓は,人工呼吸器関連肺損傷や潜水などの肺胞ガスの肺血管床への流入,心室中隔欠損・卵円孔開存・肺動静脈奇形などにより生じる 6, 7。脳動脈塞栓症状として意識障害・神経巣症状があり,大量の空気が動脈内に流入すると循環不全を来し,心肺停止に至る可能性がある病態である 8, 9。 本症例においては,胸部単純CTにて多発するすりガラス影を確認した。12誘導心電図にて右心系負荷所見を認め,動脈血酸素分圧の低下もみられたことから,静脈空気塞栓による肺障害と考えて矛盾しない所見であった。さらに経胸壁心臓超音波検査にて両心室腔内の気泡があり,頭部単純CTにて血管内気泡がみられ,動脈空気塞栓症も合併していた。経胸壁心臓超音波検査では右左シャント疾患などの器質的構造異常はなかったが,急性右心負荷時に膜様構造である卵円窩を介した右左シャントにより,動脈空気塞栓を発症した可能性が考えられた。静脈内空気流入量が多かった原因としては,患者が座位で処置を受けていたこと,鼓膜切開直後の出血に驚き,胸腔内圧が急激に強い陰圧となったことなどが挙げられる。 空気塞栓症の症状は軽症から重篤なものまで多岐にわたり,とくに緊急性の高い症状としては気泡による脳梗塞などの脳神経障害がある。その病態は,気泡による血流障害や血管内皮障害,気泡の直接的な組織障害が原因とされるが,未だ詳細は明らかではない 10, 11, 12。CTやMRIなどの画像検査では直接気泡を確認することがしばしば困難であり,さらに血管内気泡を確認できた場合であっても,必ずしも症状を呈さないという報告 13もある。本例でも頭部CTにて脳血管内気泡があったが,神経学的異常所見はなかった。このことから,必ずしも動脈ガス塞栓の画像所見と臨床症状の重症度が一致するとは限らない症例もあることが示唆される。 空気塞栓症は発症からHBOTなどの治療介入までの時間が迅速なほど,転帰は良好である 14。本症例では緊急でHBOTを施行でき,後遺症を残すことなく退院することができた。我々が検索し得た範囲では,高位頸静脈球損傷による空気塞栓は過去に報告はなかった。耳鼻咽喉科領域において比較的よく遭遇するこの解剖学的破格は,救急医療の日常診療でも遭遇し得るため,存在を認知することが必要である。さらに,稀ではあるが動静脈空気塞栓症を合併し得ることも認識しておかなければならない。高位頸静脈球損傷の合併症として空気塞栓症を来し得ること,その治療として早期のHBOTが有効であることを認識し,速やかにHBOTが施行可能な高次医療機関への搬送を考慮すべきである 15。 高位頸静脈球損傷による動静脈空気塞栓症を発症し,迅速なHBOT導入により後遺症を残すことなく治療し得た1例を経験した。鼓膜切開の合併症に高位頸静脈球損傷があり,出血性合併症の他に空気塞栓症を発症し得る。空気塞栓症と診断した場合には,速やかにHBOTを導入可能な施設への搬送に尽力すべきである。 本論文の投稿にあたって,開示すべき利益相反はない。

Full Text
Published version (Free)

Talk to us

Join us for a 30 min session where you can share your feedback and ask us any queries you have

Schedule a call