Abstract

本稿は『靈異記』の中の樣?な債務關連說話をとりあげ、當時の歷史·社會·生活狀況をも視野に入れて、景戒が如何なる趣旨をもってこうした說話を擇び『靈異記』にとり入れたのかについて考察したものである。『靈異記』に收載されている116話の說話群の中には、個人やお寺から借りたお金を返さずに死んでしまった人が、牛に生まれ變わって前世の負債を返濟という說話が多く收められている。『靈異記』上卷序文の「或るは寺の物に貪り、犢に生まれて債を償ふ」という記述からわかるように、景戒は、返濟せずに死んだ債務者は「牛に生まれ變わって債務を返差なければならない」と、負債は來世にでも償わなければならない惡報の一つとしている。景戒はなぜこうじた說話を『靈異記』の中に組み入れたかについて、お寺の債務に關する說話を中心に調べ、次の結論に至ったのである。 『靈異記』の編纂された頃は、大安寺と東大寺などの中央の官寺と、藥王寺のような地方のお寺がそろって自力で經濟面の工夫をしなければならなかった。こうした當時の時代の流れの中で、景戒はお寺の財政の確保と維持という側面で、貸し付け業という方法について大變肯定的な評價をくだしていたに違いない。景戒はお寺とお金と財物という、一見似合わない組み合わせがお寺の經營と維持に欠かせないものであると認識したゆえに、『靈異記』の中にこうした說話を收錄したと思われる。さらに、『靈異記』下卷38話によれば、景戒が藥師寺の僧侶になる前に、とても困窮な生活をしていたことがよくわかる。すなわち景戒は財物が如何に大事かという問題を誰より切實に悟っており、お寺の維持のためには必ずお金が要るということをわかっていたからこそ、『靈異記』の中にお寺の債務は必ず反さなければならないという說話を取り入れたと考えられる。

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